大会史上最多の1590チームが予選に参加した、第18回ポップアスリートカップくら寿司トーナメントの全国ファイナル。「冬の神宮」は12月21日と22日に14チームによるトーナメント戦を行い、伊勢田ファイターズ(京都)の初出場初優勝で閉幕した。一般用の複合型バットの使用が禁止となる、2025年の予兆だったのか。6年生は大半が同バットを使っていたが、準決勝と決勝の3試合が奇しくも「2対0」で決着したように、僅差の好ゲームが多かった。特報のラストは、チームでも異なっていた最終テージの意義や位置付けになどに触れて、締めくくろう。
(写真&文=大久保克哉)
(写真=井口大也)
※決勝リポート➡こちら
優勝=初/伊勢田ファイターズ(京都)
準優勝/新家スターズ(大阪)
3位/喜来キラーズ(徳島)
3位/しらさぎ(東京)
別れの舞台
全国10ブロックでの予選を突破した14チーム(前年優勝枠1)が集結する「冬の神宮」は、栄誉であると同時に別れの舞台でもある。この最終ステージをもって、学童野球を引退する6年生が多いからだ。
2024年大会もそうだった。初優勝で有終の美を飾った伊勢田ファイターズ(京都)と3位の2チームのほか、多くの6年生たちがラストマッチを迎えた。伊勢田の幸智之監督は「勝っても負けても、自分の納得いく野球をしなさい!」と選手たちに繰り返したという。他チームも6年生たちには、同様の声掛けをしたことだろう。
初優勝した伊勢田・幸監督の笑顔は新時代到来を予感させるようだった(上)。棚倉キッズ(福島)のエース・高坂大和は(下)は、伊勢田を相手に2回2失点も、全身を使ったきれいなフォームと躍動感が目を引いた
メモリアルな1年
激戦区・東京のしらさぎは、1週間前に卒団式を終えたばかりだった。いわば、オマケのご褒美のような位置付けとなった今大会は、初出場で銅メダルに輝いた。チームの第47期生にあたる6年生たちの空前のメモリアルは、これにとどまらない。
夏の「小学生の甲子園」全日本学童マクドナルド・トーナメントにも初出場。予選で過去に2度、あと1勝の壁に阻まれてきたが、それも超えてみせた。
そして実は、このポップ杯の全国ファイナル初出場を決めた日は、伝統の東京23区大会の決勝の日でもあった。前年も同様に大会(試合)が同日に重なり、どちらも敗北。だが、1学年下の後輩たちが先輩たちの無念も晴らしたのだった。
準決勝の6回表、一死から二番・飯田琉羽空が放った右前打(上)が、しらさぎの6年生のラストヒットとなった
41回を数える23区大会の初優勝と、「冬の神宮」初出場をダブルで決めた日を、巡回指導する村社研太郎コーチは感慨深げにこう振り返った。
「いやぁ、痺れましたね。6年生(13人)のサブメンバーがすごく頑張ってくれて。9人、9人に分けてそれぞれの大会に行きました。5年生11人も入ってくれて、去年の教訓を生かして何とか両方勝てた感じです」
夏王者の貫禄
夏の「小学生の甲子園」に続いて、「冬の神宮」にも出場したのは、しらさぎの他に、準優勝した新家スターズ(大阪※2大会とも前年優勝枠)、北ナニワハヤテタイガース(兵庫)、平川Jr.ベースボールクラブ(青森)と、計4チーム。貫録を示したのは、新家と平川だった。
5年時には全国3冠に貢献した新家の藤田凰介主将(上)と山田(下)。2年連続の3冠はならずも、堂々たるプレーぶりだった。山田は3試合連続の決勝打、投打に健脚も際立った
夏の全日本学童と高野山旗に続く全国3冠を狙った新家は、今大会は左投左打の山田拓澄がMVP級の大活躍(リポート➡こちら)。もちろん、看板選手におんぶに抱っこのチームではない。
大会を通じて堅守と勝負強さが際立ち、外野陣の守備範囲はピカイチだった。それを象徴していたのが、西埼玉少年野球(埼玉=下写真)との注目の1回戦だった。
西埼玉は5年秋の新人戦で県大会を制している。全国王者にも持ち前の強打で立ち向かい、2回、4回、5回と好機をつくった。そして4回二死二塁では四番・熊田結翔がセンターへ、特別延長の7回には二死満塁で七番・成田煌がレフトへ。両翼70mの特設フェンスがあれば、いずれも超えていただろうという大飛球を放った(※大会初日の準々決勝までは、外野フリーで開催)。
1回戦で全国2冠王を追い詰めた西埼玉。2回に杉山拓海(上)と成田(下)のヒットに四球で一死満塁に
西埼玉は4回表、無死二塁から四番・熊田がセンターへ特大飛球(上)。5回には代打・村井碧波が左越え二塁打(下)。だが、いずれも得点はならず
ところが、新家は中堅手の西浦颯馬と、左翼手の山田が、それぞれ特大飛球をグラブに収めて得点を許さなかった。
そして好捕したばかりの山田が7回裏、中越えの特大サヨナラ打。大会連覇は逃した新家だが、決勝でライトゴロを2つ決めるなど不動のレギュラーとして活躍した竹添來翔(5年)を中心に、2025年も気の置けない存在となることだろう。
1カ月ぶりの屋外で
「ウチは5年生9人が、5人の6年生をサポートして、6年生と6年生の保護者たちは5年生が試合に出ることに納得している。そういうワンチームで春先からやってきました」
水木宏之監督(=下写真)がそう語る平川は、全日本学童に続いて今大会も初出場で初戦を突破した。地元の平川市は11月末から積雪があり、約1カ月ぶりの屋外でのプレーが1回戦だった。それでも投打が噛み合い、南国のパークタウン学童野球部(沖縄)に5対0と快勝したのは、夏の大舞台の経験もあったせいだろう。
ファイナル初日は、センター最深部を本塁とする特設のB面(下」)も使用して10試合を消化した
平川は本格派のエース右腕・清藤愛音が簡単に2死を奪ってから3連続四球と、まさかの乱調。だが、救援した大里一瑳が二死満塁のピンチを脱すると、2回に對馬龍珠が先制ソロを放つ。4回には岩淵和夢が中押しのソロ、そして5回に清藤の2ランでダメを押した。
平川は清藤(上)と大里(下)の継投でゲームをつくって初戦を突破
続く準々決勝で新家に0対3で敗れたものの、水木監督は「良い経験をさせてもらいました」と、納得の表情でこう続けた。
「来年から大人用のウレタンバット(一般用の複合型バット)が禁止ということで、5年生はそれを使わずに練習してきました。この大会も6年生以外は使わずに、ここまで来られましたので、よくやったと思います」
「夏の全国は2試合とも駒沢球場でしたけど、今回は神宮で2試合もできて、6年生5人はもう言うことないと思います」(平川・水木監督)
新チームは秋(昨年10月)の東北新人大会で準優勝しており、2025年は全国舞台でも上位に進出してくる可能性も十分だ。
異彩を放った北の王者
全国ファイナル出場チームの中で唯一、12人の5年生オンリーで「冬の神宮」にやってきたのは、北海道代表の東16丁目フリッパーズだった。2017年に「小学生の甲子園」で全国初制覇など、全国区の強豪には年間のターゲットと確固たる道筋があるという。
1978年創部の東16丁目は、全日本学童に7回出場(2017年優勝)、全国スポーツ少年団軟式野球交流大会は1回出場。指導歴29年の笹谷監督(下)は、北国のハンディを決して口にしない
「ウチの最大目標は全日本学童(小学生の甲子園)で優勝すること。次いでスポーツ少年団(軟式野球交流大会)、高野山旗、ポップアスリート杯と、それぞれの全国大会があります。ポップ杯に関しては6年生チームで北海道の予選を戦って、全国を決めたら5年生チームに出場権をプレゼントする。毎年、そういう方針でやってきています」(笹谷武史監督)
この「冬の神宮」は4年ぶり3回目の出場だが、前回の2020年はコロナ禍で中止に(予選は開催)。初出場の2017年は、やはり5年生チームで挑み、初戦(準々決勝)で城東野球軍団(愛媛)に敗れている。
試合前のキャッチボールは、捕球後に左右へのターンから腕の振りまでの動作を入れる(上・中央)。シートノック冒頭のボール回しは、ボールを後方に落としてそれを拾ってから投げる(下)。直後の実戦に即した準備が、東16丁目の特長のひとつだ
迎えた今大会も初戦突破は叶わなかった。大型チームの経田野球スポーツ少年団(富山=下写真)に、0対3の敗北。「力負けですね」と笹谷監督は潔かった。
初回の守備で判断ミスなどからピンチを広げると、四番打者に先制2点タイムリーを浴び、3回には中押しソロを献上。それでも、右の西山宗汰郎から左の川口琉輝へと継投しながら、粘り強く守った。
しかし、経田の大型投手陣を前に、打線は出塁3(1安打)と振るわず、走塁を絡めた得意の攻撃も展開できなかった。
「それなりに守れて、投手もそれなりに投げられましたけど、打つほうが消極的でしたね。どの打者も見ちゃう雰囲気になってしまったので、もう少しバットを振ってファウルにするくらいになってくれれば。ただ、相手の先発の子(島澤大将)が良かったですね。練習からキレのあるボールを投げていたので、ウチの5年生でこのバット(一般用の複合型以外)では苦戦すると思っていたんですけど、その通りに。まぁ、それでも恥ずかしい試合ではなかったので、来年につなげたいです」(笹谷監督)
一番を打つ丹場泰生主将(=上写真)は3打数無安打も、遊撃守備は安定しており、全体に目を配りながら声で統率する姿も印象的だった。「神宮はやっぱり、広くて良い球場だなと思いました。チームの課題はバッティングです。全国で6年生のチームと戦えたのは良い経験で、今回のことも来年に生かせるんじゃないかなと思います」と、神宮を去る前に話している。
2017年の初出場時の5年生たちは、翌2018年夏に高野山旗で初優勝を果たしている。2025年の新6年生たちは、果たして――。
6年生の多くには学童野球の最後の思い出となり、5年生以下は自信を増すこともできる舞台。夏の「小学生の甲子園」(全日本学童)は、2025年から全国持ち回り開催となるだけに、ポップ杯全国ファイナルの「冬の神宮」を標的に加えるチームはまだまだ増えることだろう。2007年に143チームの参加で始まったこの大会は、18年で10倍以上の参加規模となっている。